今回は「神との対話」の紹介をします。
ボリュームがありますが、とても興味ある内容になっています。
それでは説明をしていきます。
それが真実でなくても人生の糧になり生きる
この本には著者が神と通じて対話をしている内容が書かれています。
神様の会話とか胡散臭い!と思うでしょうが、ぜひ一度読んでみてください。
この本は世界中の本屋で多大な販売数を記録しています。
世界27ヶ国で出版されました。
現代の聖書と言われています。
人生で進むべき方向を示してくれるコンパスみたいに世界中の人に読まれています。
世界中の人々の良し悪しなどの生きる方向性や価値観などを分かりやすく教えてくれる本です。
科学しか信じない方にも、この本は超オススメになります。
この本を読むことに気をつける点は、神の言葉かどうかなんて知らなくても関係ない事です。
「本当に神と交流しているの?」とか「こんな発言は神様が言ってないよ」など判断してはいけません。
誰が書いたかなんて全然関係なく、本の内容に何が書かれ伝えているのが最も重要なのです。
神様が本当に言ったからそれを素直に聞いてみよう、というスタンスになっている人はとても危険です。
神様が死ぬのを勧めたらそのまま従って自ら命を絶つ事になってしまいます。
神様自らが執筆したかのかではなく、役に立つ事か何か書かれているのかどうか、これが大切です。
テレビやネット配信に出ている偉い学者の言葉を鵜呑みにしてはいけないのと同じです。
すごい権力や権威を持っている理由だけで素直に聞いてはいけません。
神様の言葉を聞いて役に立たなかったら無視して、逆に役に立てれば匿名の人の言葉を心にしまえばいいのです。
神の言葉でもいらなかったらゴミ箱に捨てて、役に立つならカバンに入れて携帯しましょう。
全くわからない宗教に信仰して信憑性が無い真実を与えられても、その人が幸せな気持ちでいられるならそれが正解なのです。
正論だけが全てじゃないとするには、人間関係を見ればすぐに答え合わせができます。
今の人生がガラッと反転するほどの名著なので、自らの固定概念などの思い込みを一旦置いておいて読んでみてください。
「なんだ、こんな単純に生きていいのか…」と思って、日々の暮らしがシンプルになっていきます。
心がフッと軽くなる本になります。
神様は偉大な聖人や賢者達だけでなく、この世に存在しているあらゆる者たちに語り部をしています。
善人にも悪人にも俗人にもそのいずれでも無い人たちにも。
神様はあなたの人生に様々な方法で到来してきます。
この本もそのひとつです。
生徒の準備が整ったところで教師が現れるのです。
世の中に偶然はありません。
全てが必然で全て完璧なタイミングで起こっているのです。
日頃の生活で神が現れて触れる交流ができるのは様々なイベントを素直に従う事です。
ただ素直に受け入れる事で色々な場面で神とのコミュニケーションができるようになります。
あなたの価値観や目指している目標を与えてくれる聖書のような本になります。
ちなみにこの本ではよく「神」という言葉を使われていますが、「宇宙」や「直感」など単語を入れ替えたほうが日本人には理解しやすいかもしれません。
神はメッセージするときに感情を利用します
神とのコミュニケーションは言葉より想像以上の様々な性質を備わっています。
言葉そのものに制約があるので、神があなたに言葉で語ろうとしても縛られて交流できないのです。
そのために神はまず感情を通じて神からメッセージが送られてきます。
神は交流するために言葉を使わないで様々な方法を使って感情を伝えようとします。
何かについて自分にとっての真実を知りたいと思った時には、自分がどう感じるかを探ってみればいいのです。
とはいえ自分の感情を聞いても簡単に真実なんて教えてくれません。
適当に聞いてもすぐに真実を教えて知ることなど都合のいい事はありません。
本当の自分の感情を理解している人はほとんどいません。
真実は自分の心の中にある最も奥深くに偉大な財宝として埋もれています。
最も重要なのが、その感情の奥底にある真実という財宝を掘り進めて手に入れることです。
次に神は思考であなたと交流したい時に手段として利用します。
絵や写真などイメージを使って神は思考にアクセスしようとします。
思考と感情は同時に発生するので似ているように思いますが全く別物です。
言葉よりも思考で交流することが神とのコミュニケーションで最も重要なのです。
その他に経験という偉大な方法で神はあなたにコミュニケーションを試そうとします。
感情・思考・経験の手段が上手く行かなかった時、神は最後の最後で言葉という手段を使います。
実はコミュニケーションとして言葉は最も非効率的で分かりにくい手段です。
最も誤解されやすく間違った事を伝えてしまいます。
間違って伝わる原因は言葉の性質のためです。
言葉はただの音にすぎません。
コミュニケーションで発生した偶然の産物です。
あくまで言葉は理解の補助をしてくれるだけの目印でしかなく、本当の真実ではありません。
人は様々な出来事を経験して学び得ることで初めて知ることができるのです。
しかしどんな事をしても手に入らない経験があります。
だから神は人々に知るために様々な手段を与えました。
それが感情という思考と呼ばれるものを提供してくれました。
大抵の人は経験を放置して言葉だけを重用に扱ってしまいます。
僕達はついつい言葉ばかり気にして経験を放置してしまいがちです。
経験を雑に扱っているから神から神託を手に入れても、それは神に教えられてないと判断して得た経験を投げ捨てて言葉の方を拾ってしまいます。
今まで得た経験から何が楽しいかを本当はわかっているのにそれを表に出していないからです。
本当に望んでいる楽しい事ができる答えを今までの経験によってみんな理解をしているのです。
しかし理解していても世間で言われる正しい生き方になってしまうのは周囲の親などの言葉を気にしすぎるせいなのです。
言葉は起こった事を再確認した目印なのにそれを鵜呑みにするせいで混乱の元になっています。
今までの人生で得た経験から生み出された感情を素直に従うべきです。
経験から創り出した感情を大事に利用してみましょう。
経験や感情によって、人は直感に知る事ができるのです。
神様は経験や感情の中に伝言が込められています。
自身の感情に従って様々な感情の中にある良いものを選ぶには、欲に忠実に生きなければならないと神は言います。
自分の欲求に素直に応じる
欲求にただ素直に従って生きる事が大切です。
正直にバカであれとジョブズは言います。
Stay hungry, stay foolish
ハングリーであれ。愚か者であれ。
バカであれというのは、周りを気にしすぎて、自分に素直に生きられない人が沢山いるからです。
やりたい事をしていると、ほとんどの人には嫌われるのは必然です。
始める前からみんなにバカだと思われて笑われる事を覚悟すると思っていれば、周囲の視線や反応を無視しながら行動ができます。
ジョブズの様な天才は、必ず周囲との意見にすれ違いが発生します。
そのまま自分が正しくて、みんなが正しくないというと争いになります。
だから自分は普通ではなくバカなんだと言って、周りの方々と争わずに調和するという所です。
もちろんジョブズもホリエモンは自分がバカだと本当に信じて思っていません。
世間で言われているバカとは異なるニュアンスを使ってバカだと言っています。
普通の人にとってバカな事だと思われるが、天才にとって賢い事が多いのです。
このジョブズの言葉は、僕達のようなただの凡人がみんなにバカだと指差して笑われても落ち込まずにただ忠実にクリエイティブになって胸張って生きろと勇気を与えてくれます。
欲求とは、全ての創造の始まりだ
欲求とは、全ての創造の始まりだ、と神は言います。
欲求は神との対話の前触れの一つです。
何かを始めたい、何かを挑戦したいという事で全ての創造が始めるのです。
欲求とはこの宇宙の中で最も優れた感覚です。
欲求はあらゆるクリエイティブの開始地点になります。
では神が求めているのは何か。
1つ目が、神が自分自身を体験する事です。
神は自らを体験したいと思ってこの宇宙を作りました。
神は自分が何者であるかを知ることを願いましたが理解はできませんでした。
そこで宇宙を創造する時に相対性の世界を作り上げることで、神が自身を何者かを初めて理解するのです。
善を知るには悪を理解しなければなりません。
神の欲求の2つ目が、「選択」「創造」「体験」を自ら選び体験させることで真の自分を理解する事です。
神の欲求の3つ目が、全ての生命に途絶える事のない喜びと創造の体験を永遠に続ける事です。
3つを簡単に言うと、神は普段働いている人間や彷徨いている犬や転がっている石ころなど、あらゆる物体や生き物が自分そのものとして維持し続けるのを願っています。
つまりスピノザでいう所のコナトゥスになります。
コナトゥスとは、物が動くことや物が自己の存在を維持しようと努める事など、世界を動かしている根源的な活動力の事になります。
万物そのものが存在を保存しようと努力の源だとスピノザは言います。
全ての物の本質はそれら保存しようとする努力なのです。
自分自身が求める通りに活動する事で、その本質に従って自身の生きる力が強化されるという事です。
自分らしく生きる事が自己の力を一番増大させるという事です。
この本の世界観はスピノザの汎神論と同じです。
汎神論とは人も魚も鉛筆など何もかもが神に当てはまる事です。
自然物に限った事ではなく、物理法則や数式、それらを全てが神という事です。
なぜ重力があるのか、なぜ1+1=2になるのか?それらも神という事です。
スピノザにおいて実体は神のみです。
実体は神様だけです。
それに対して物は、お互いの対立の中でのみ存在できる相互関係なものです。
全てのものが相互関係の対立の中で存在する、という事です。
黒は白との対立によって存在ができ、表は裏との対立によって初めて存在を維持できるのです。
そしてこの本によると、神が相対性の世界を創ったのは、自身を体験したいからだ、という事です。
自分自身を体験するという欲求をさせるため、神は完璧なシステムを創り上げ、今もなお年中無休で動き続けています。
精密に作られた完璧なシステムなので、感情に対しても完璧に動いています。
つまり自分自身を体験するために必要だから、完璧なタイミングで悲しみや苦しみも現れるという事です。
望んでいなくても絶妙なタイミングで悲しみと苦しみが現れているのです。
苦しみが知らなければ、喜びが分かりません。
ガンジーは若い頃に召使いのお金を窃盗して悪事を働いていたので、悪を理解して善人になれたのです。
完璧なタイミングは様々物事に全て関係しているのです。
人間はそれを知らないからこそ、知っている神に近づけないのです。
神に近づくには、全ては完璧なタイミングで起こっている、と悟る事が必要です。
どんな不祥事も体験すべきもので、神から与えられた試練という名プレゼントみたいに理解する事ができます。
どんな困難でも正面から立ち向かって体験するべきです。
人が困難を乗り越え望んだ世界を創り上げそれを体験できた時に、神と同じに壮大な喜びと感動を得ることができます。
著者が言うには、近いうちに世界中の人がこの思考になるようです。
インターネットにより、みんなが同じ情報にアクセスできるようになるので、未来はみんな同じ様な考え方になっていくと、僕も考えています。
インターネットで多様性が認められていく、さらにその場の未来の話です。
人が望んだように自分を創り上げ、自分らしく生きる事で神の真実に触れることができ、大きな恩恵をもたらし祝福と感謝を手に入れます。
世界の真実というのは自分自身を創造し、自分らしくある事です。
そして喜び・愛・受容・祝福・感謝、この五つは神の特徴です。
この五つを実践すれば神性が得られます。
欲に従って生きるために重要なのは、自分の中にある価値観に躊躇わずに従うだけです。
しかしそれが役に立つのは思っている間だけで効果はとても短期間です。
その価値観を役に立つかどうか、最も優れた考えを提供してくれるか、思考と言葉と言葉を通じて日々こまめにメンテナンスする事が大切です。
持っている価値観を外に接触させて、丁寧に繰り返し検討するのが重要です
この世界に向けて真正面で自分が何者で何を信じているかを胸張って言いきれるなら、あなたは幸福です。
それが自分自身を創造し、神を体験している状態です。
常に愛か愛じゃないか
常に愛か愛じゃないか、そのどちらかだ。
神が創ったこの世界を支配する法則は、非常に単純で次の2つです。
1、思考や感情は似たエネルギーを引き寄せる。
2、存在する全ては愛である。
1は引き寄せの法則でお馴染みなので、2番目の存在する全ては愛である、を詳しく見ていきます。
愛は究極の現実です。
何かを愛する事が唯一であり全てになるのです。
この世界の全てが何かをやりたい・したいという愛の感情です。
愛を感じるという事は私、つまり神を体験する事です。
愛を表現するという事は私を体験する事であり、神を体験する事であるのです。
あらゆる存在そのものが全て愛という真実です。
汎神論では人も動物など全てが神で、それらは全て愛として成り立っています。
もちろん、日本人が使う愛とはニュアンスが違います。
分かりやすく言うと、○○が好き、○○がしたい、これら全てが愛であらゆる物や生き物の本質だという事です。
~がしたい、これが万物の本質です。
絶対性の世界は愛しかありません。
神が自らの経験を積むために相対性の世界を創り上げ、その世界に僕達は日々暮らしています。
僕達が今いる相対性の世界は神が自分自身を体験するための世界です。
神は自分が様々な体験するために色々な考案を編み出しました。
不安の恐れはその1つなのです。
愛の真逆の関係が不安と恐れと呼ばれる感情です。
相対性の領域を創った神は、まず自らの対極を創り出しました。
愛を体験的に知るためには、愛でないもの、つまり不安や恐れがどのようなものなのかを体験する必要があったからです。
そしてこの相対性の世界には二つの在り方しかありません。
不安か愛か、その二つのどちらかです。
宇宙の言語には、この二つの言葉しかありません。
この二つが無ければ他の思考は存在しないのです。
不安に根ざした思考が、ひとつの物質的な場を生みます。
愛に根ざした思考がもうひとつの場を生みます。
あなたは全ての瞬間で、不安の世界か愛の世界のどちらかに進んでいるのです。
全ての瞬間で不安か愛かどちらかに進んでいます。
引き寄せの法則は重力と同じで休む事はありません。
同様の事をスピノザは欲望・喜び・悲しみの3つの状態で説明をしています。
スピノザによると、すべての感情が欲望・喜び・悲しみを起源にしているそうです。
他の思いが混ざった喜びの感情を愛と言い、他の思いが混ざった悲しみの感情と言います。
つまり愛も憎しみも1つのバージョンに過ぎないのです。
例えば希望とは不確定な未来を思う時の喜びの感情です。
恐怖は未知なる将来を思う時の悲しみの感情です。
つまりスピノザも僕達の状態は愛か愛じゃないかのいずれかしかないと言っているのです。
常に愛か愛じゃないか、そのどちらかです。
ブッダやキリストも相対性の世界の秘密を発見した人達です。
そしてそれが現実だと認めなかった人達になります。
要するにブッダやキリストは2つの世界のうち、愛の選択だけを選択した人達です。
どんな状況においても彼らは愛という1つの選択し続けたのです。
自分達が殺されても殺害者を愛しました。
迫害されても、迫害者を愛しました。
彼らは愛だけを選んできたのです。
分かりやすく言うと、現実は皆が思っているような現実ではなく、世界は主観的なもの、これに気づいたのです。
悟るとは、この世界のゲームの攻略法が分かったのと同じです。
ブッダはなーんだそういう事ね!そんなルールで創られていたんだ!と気づいたのです。
悟るとは、現実の世界が相対性で創られている事を知る事です。
だからブッダは愛の状態、つまり常に良い気分でいる事を選んだのです。
ブッダはこの世界の相対性に気づきました。
不安か愛の二つ内どちらかを選択する世界です。
欲求は世間ではあまり良くないものとして世界で言われますが、本当の真実を見ると実は愛の行為だと分かります。
世界の真実はただ自分の欲求に従って生きる事です。
それが世界の本質です。
自身を欲求のままに動く事で神に近づくのです。
欲に正直に従う事で、あなたは神を知り世界を知る事ができるのです。
「したい・やりたい」は全身で愛を表現しています。
楽しみたい・稼ぎたい・楽をしたい・たくさん寝たい、などは世間のイメージは悪いが、実は愛の表現なのです。
逆に世間で正しいとされている行為は神から離れる事も多いのです。
安定した社会に就職したい。
何が起こるかわからないから貯金をしよう。
保険に入ろう。
1人は寂しいから友達と会う。
三十歳だし結婚を考えないと。
そろそろ落ち着かなきゃ。
育ててもらった恩があるから親の希望に応えよう。
まともな仕事をしなきゃダメだ。
会社を休むなんてダメ人間だ。
子供は大学に行かせるべきだ。
親を介護しなきゃ。
これらを不安が表現しており、そこに愛は無いのです。
もちろんこれらの行為が全て愛がないわけではありません。
どんな気持ちでやっているかという、根っこの感情が大切なのです。
どんな気持ちでそれをやっているのか?それが大切です。
愛と不安のどちらか一方の感情が自分達の行動の元に根付いています。
神は大いなる二分法と呼ばれる方法で世界にある愛と不安を二つに分けました。
この二つが最初の思考であり力の源なのです。
愛と不安、この二つが人間を動かしている原動力です。
自分の行動が愛と不安のどちらから来ているのかを、観察するのが重要です。
愛のエネルギーを出し続けていると、愛のあるものを自分の側に引っ張ってきます。
これが引き寄せの法則です。
これは大昔から何度も何度も証明されているのです。
あらゆる時代、あらゆる場所で、それは示されてきました。
宇宙はあらゆる設定を利用してこの真実を伝えています。
音楽・ダンス・ニュース・会話・ネットワーク・映画・本などに愛が含まれています。
答えは愛、それが真実なのです。
神は数え切れないほどの回数、数え切れないほどの方法で、恐れではなく愛の気持ちから行動するように語っています。
愛の気持ちから行動することで、どんどん喜びの多い世界に進んでいくのです。
経験と感情に聴いてみると、神のメッセージがわかります。
だがほとんどの人はその声を無視してしまうのです。
宇宙に偶然などというものはありません。
毎日神は言語として経験と感情を通じてあなたに語りかけてきます。
そして今あなたが聴こえてくる痛々しい悲鳴もいつか愛に辿り着くために視聴しているのです。
それを次に説明していきます。
全てが完璧な愛に向かうため、だという事です。
完璧な愛とは、多数な色彩の中ある完璧な白のような感情です。
多くの人は白とは色がない事だと考えているが、そうではありません。
あらゆる色を含んでいるのが白です。
白は様々な多色が合わさった色なのです。
だから愛とは感情、つまり憎しみ・怒り・悲しみ・嫉妬などがない事ではなく、あらゆる感情の総和になります。
様々な感情が混ざりあったものこそ愛といいます。
あらゆるものの集合、全てになります。
だから完璧な愛を経験したいのなら、喜怒哀楽などの様々感情を一通り経験する必要があるのです。
自分が理解できない事に共感をできるのでしょうか?
自分が経験しなかった事について他人を許せるのでしょうか?
この相対性の世界での人間の目的は、良し悪し関係なく様々な事を体験して経験を積み重ねることによって全てになりえる事なのです。
人生の本質は全ての可能性をより好みせずにあるがままに受け入れるのです
一度も下降した事がなければ、どうして上昇できるのでしょう?
一度も左になった事がなくて、どうして右になれるのでしょう?
冷たいという事が知らなければ、どうして温かくなれるのでしょう?
悪を否定していたら、どうして善になれるのでしょう?
愛か愛じゃないか、どちらかを区別し、常に愛の世界を引き寄せるには、まずは全ての感情を経験する必要があるのです。
今もしあなたが苦しいなら、将来愛だけを選択できるように、知る必要があるから経験をしているのです。
あなたが今苦しみを感じているのは必要があるからなのです。
選択肢もなければ何も選べません。
偉大さを体験するためには、偉大であるとはどういう事かを知らなければなりません。
そうして偉大さは偉大でない所にしか存在しないと気づくのです。
だから偉大でないものを決して非難してはいけません。
それどころか祝福しなければいけません。
そこには新しい自分が開花するために必要な一部があるからです。
だからやりたい事を見つけるためには、やりたくない事を考えるのが有効なのです。
小さい子供が将来の夢をお花屋さんしか言えないのは、お花屋さんではないものを知らないからです。
成功者は一度ドン底に落ちた経験が多い、これも同じ事なのです。
繰り返しますが僕達は相対性の世界に住んでいるのです。
アインシュタインは時間と空間は人それぞれに変化する相対的なもので、唯一不変なのは光だとしています。
選ばなかった部分を非難せずに最善の自分を選ぶようにする事です。
この選ばなかった部分を避難せずにこれが重要です。
僕達は自分が選ばなかったものを批判しがちで、ものごとを間違っているとか悪いとか充分ではないと決めつけてしまうのです。
非難するよりももっといけない事もあります。
自分が選ばなかったものを傷つけようとする事です。
僕達は自分が賛成できない人間や物事があれば、攻撃をするのです。
自分の宗教と対立する宗教があれば、間違っていると言います。
自分と違う思想があればバカにします。
自分と異なる考えがあると反論します。
だがそれらは間違っています。
そんな事をしても宇宙の半分しか創られません。
半分を拒否していたら、自分の側の半分さえ理解できません。
大変かもしれませんが受け入れ難い半分も拒否せずに受け入れ、それを理解する事で本当の愛を初めて経験する事ができるのです。
人生に起こる事は全て意味があるのです。
様々な出来事が自分自身を創造し、「愛とは何か?」と理解させるためにあります。
目を背けるほどの悲しい出来事にも意味が存在しているのです。
苦しんだり悲しんだりする度によりあなたらしさを創造できるようなり、より愛に迎えるようになるのです。
以上となります。
とても面白い本なので是非読んでみて下さい。